paraiso

0点の自分で甘えたい

 

鏡、誰もが一日に一度は目にするものだと思う。朝、顔を洗う時。化粧をする時。洋服を身に纏った時。家を出る時。商談前に気合いを入れる時。愛する人に会う前に。

最近はiPhoneの内カメラを鏡がわりに使う人をよく街中で、電車内で見かけたりもする。そこで目が合った時の気まずさったら何度あっても、ビクッとしてしまう。目が大きくなったり、動物のパーツが顔を認証してくっつくアプリsnowなんてしてるもんならたまったもんじゃない。

こんな風には書いている私もたまに内カメラを鏡がわりにしている一人でもある。snowはしません。まずダウンロードをしたことがありません。

 

鏡、そぉ聞けば自分の姿をうつす鏡を思い浮かべるんじゃないかと思う。

ここ最近の私は、鏡、と聞いて思い浮かぶ事はその鏡ではない。

『人は鏡』、このことわざが先に思い浮かぶのだ。

このことわざが思い浮かぶのにはちゃんと理由がある。

あるカップルが破局をした。それはそれは周りも驚いた。しかし最も驚いていたのは別れを突然告げられた彼女だ。仲の良さや、長く連れ添ったような空気感、自他共に認めていたのにも関わらずこんなことになった。

一緒にいればやはり喧嘩もする。喧嘩の中身はそのカップルそれぞれで、些細なことから大きなことまで。でもこれが一緒にいる、ということだと思っていた。

ある日話があると深刻な面持ちで切り出したのは彼だった。彼女を好きか分からない、そして職場に気になる子がいる。そう告げた。

彼女は納得がいかなかった。彼がこれまでどんな恋愛をし、どんな人を好きになってきたのか、それはどうせ知らない誰かとの過去で二人が過ごしていくことに何も関係がないと思っていた。だから気にならなかった。

君か、職場の人か、どちらが好きか分からなくて選べなくて苦しい、彼は続けてそう言った。彼の言葉に彼女の涙は一瞬で止まり、言葉を失った。

 

彼らはしばらく会わなくなった。久しぶりに顔を合わせた時、彼にはもう気持ちがないことがどこか分かってしまった。気心知れた2人だ、そんなことすらも表情や言動で手に取るようにわかってしまうのだ。時に気心が知れていることは残酷でもあると思った。別れた瞬間にそんなことすら消えてしまった方がいっそ2人は幸せに生きていけるのではないかとも思った。

 

それでも時は経って、彼女の側には違う彼がいた。その彼とは職場で出会い、他愛ないことを話す、誰にでも無邪気な、そんな人だ。職場が同じということもあり顔を合わす頻度も、きっと友人よりも多い。楽しい時も辛い時も彼が側にいることが増え、次第に彼が気になるようになってきたのである。

 

その時、彼女はハッとした。

ずっと一緒にいた当時の彼のことを。あの彼のことを今でも恋しく思うことがある。これが恋なのか、愛なのか、それすら分からなくなっている現状で私もこうしてよく顔を合わす職場の人をこんな風に思っていることを。その彼と私がしていること、陥っていることが同じであること。

 

その時彼女は、人は鏡だ、そう感じた。

 

別れを告げられた時、ひどく落ち込み泣き続けた。理解出来なかった、2人を同時に好きになれることが。しかし今それを、理解してしまった自分がいた。分かりたくなかったその気持ちを一瞬で、すごいスピードで。

 

職場の彼には彼女がいる。私と彼女を天秤にかけてみたり、時にはその天秤に乗ることすら出来ずまた違う誰が彼女とその上で重さ比べをしているかもしれない。

私もまた同じで、元カレと職場の彼を天秤にかけては自分の気持ちへの答えを探しているている。こんなことをしても答えは見つからないとわかっていながら。

 

自分がしていること、考えていること。側にはいる相手もきっと同じことを思っている。

 

彼女は今では、恋と愛の区別も、好きかどうかの区別すらつかない。

 

嬉しいことも卑怯なことも、全て自分に返ってくるようになっているのかもしれない。人は鏡ですから。それでも誰かを求める私たちって凄く興味深く、厄介な生き物だと思う。